八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。宇佐神宮は全国4万600社あまりのお社(やしろ)がある八幡さまの総本宮です。
応神天皇が725年、現在の地に御殿を造立し、八幡神を祀ったのがはじめとされます。
朱塗りの神橋を渡り、大鳥居をくぐって上宮まで向かう道中はハスの咲く菱形池や木々を抜けて荘厳な雰囲気が漂います。まさにパワースポット!
表参道の商店街にはお土産店やお食事処が軒を連ね、宇佐飴や大分の特産品が並びます。
宇佐神宮:公式WEB | |
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公式WEB | 宇佐神宮 |
住所 | 大分県宇佐市南宇佐 2859 |
上宮の 開門時間 |
【4月~9月】5:30~19:00 【10月~3月】6:00~19:00 ※正月期間中を除く |
大分県と福岡県の県境に位置する中津は今も城下町の名残が残る歴史の街です。
1588年、豊臣秀吉の命で豊前国を治める事になった黒田孝高(如水・官兵衛)が築城した中津城
は、その後、細川忠興が完成させます。
中津と言えば黒田家、そしてその因縁とも言える城井家。謀略を図り城井家を討ったその時の家臣団の血が合元寺の壁に映ったと言われる「赤壁」は今も赤く染まったままです。
時は移り、1835年。大坂の中津藩蔵屋敷で生まれたのは福澤諭吉。2019年現在は1万円札の顔の彼です。 1歳で中津に帰郷し、19歳で蘭学を学びはじめ、江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾を開き、これが慶応義塾のはじまりです。 その後ヨーロッパ諸国を歴訪し、「西洋事情」「学問のすゝめ」などを著し、当時の日本人へ西洋文明の精神を伝えました。今も旧居が留守居町に残ります。
中津といえば宝来軒!
九州の小京都と呼ばれる天領日田。1868年、江戸時代に幕府直轄領として天領となり、九州の政治経済の中心地として栄え、幕府の公的資金は日田の商人たちによって運用されました。西国筋郡代の権威を背景とした資金は「日田金」と呼ばれ、日田の商人たちを通して九州の大名や豪商に貸し付けられ、莫大な利益を生み出しました。この資金力で幕末には、儒学者・廣瀬淡窓が「咸宜園(かんぎえん)」を開き、多くの学者や志士を輩出し明治維新の原動力となりました。
江戸時代の名残ある豆田町には昔ながらの商店や民家、土産物屋が並びます。天領ひな御殿では江戸時代の雛人形など三千体以上を公開し、広い豪奢な屋敷内に並ぶ様は圧巻です。新作の雛人形も飾られ時代の移り変わりを感じられます。
公式WEB | 日田市観光協会 |
天領日田資料館 | |
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住所 | 大分県日田市豆田町 11 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
休み | 水曜日(祭日の場合は翌営業日)・年末年始 |
天領ひな御殿 | |
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住所 | 大分県日田市豆田町 13-6 |
営業時間 | 9:00~17:00 年中無休 |
耶馬溪(やばけい)は中津市内にある山国川上・中流に広がる渓谷は日本新三景、国名勝、日本遺 産の3大タイトルに輝いています。
江戸時代、山国川がせき止められ、川の水位が上がった事で通行人は鉄の鎖を命綱に危険な道を通らざるをえず、人や馬が命を落としました。そんな折、諸国巡業で訪れた禅海和尚が心を痛め、1735年から岸壁を掘り始めました。30年余りの歳月をかけ完成したのが「青の洞門」です。トンネル の一部には当時のノミの跡が残り手堀りの様子をうかがえます。
青の洞門 | |
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住所 | 大分県中津市本耶馬渓町曽木 |
駐車場 | 無料 約80台(大型10台) |